不可思議な華、蓮華
私は蓮の華が好きだ。敢えて“華”と書きたい。“花”という表現ではどうも物足りないのである。
蓮は、沼や池などに繁茂する華である。私の居住する千葉県柏市(かつてこの地域は東葛飾郡沼南町であった)は、その名の如く手賀沼の南に位置する。
手賀沼はつい先ごろまで汚染度ワースト1の汚名を永年にわたって維持してきた沼である。近年は近隣の涙ぐましい努力や、浚渫の効果で、ようやくその「悪名」から脱した。
この沼の一隅に蓮の群生地がある。蓮は沼底の泥に含まれる窒素やリンを養分にして育つ。その関係上、泥とは切っても切れない仲である。ちなみに、いずこも共通していることだが、蓮の群生している一帯は、およそ綺麗という形容詞のあてはまらない、文字通りの「泥沼」である。
しかし、そんな環境を圧倒してしまうほどの勢い溢れる神々しい蓮の華々は、それは見事なものである。まさに仏教で説く「如蓮華在水」そのものである。
ここ数年のことらしいが(2017年現在)群生地が岸から後退をはじめた。以前はすぐ目の前で鑑賞できたが、いまでは50から100メートルも離れてしまった。反対に対岸の我孫子市側には、岸に迫る勢いで繁茂を続けている。決して群生域が衰退しているわけではないようだ。
独特な呼称を持つ「蓮」
「蓮(lotus=ロータス)」はスイレン科の多年草。呼称が独特のような気がする。単に「蓮」と書けば、読み方は普通は「ハス」。もっとも近年、男児の名前のベスト5に必ず入る「蓮」は「れん」と読むようである。2014年には1位の栄冠を得た。
「ハス」と呼んだときは、華よりもむしろ食用の地下茎「蓮根」を連想してしまう。「蓮華」と書いてはじめて蓮の華を表す呼称となると思ってしまうのだが…。これは私だけの勝手な印象なのかも知れない。
なお、「蓮華」は、「蓮」と「睡蓮」をさしての総称である。
「蓮」と「ハス」呼称の起源
この植物は「連なってたくさんの実をつける」という特徴から、「つらなる」を意味する「連」と「くさかんむり」を合わせて「蓮」と呼ぶようになった。これは中国の呼称である。漢字の国、中国ならではの発想である。
蓮は、仏典と一緒に日本にもたらされたといわれているが、日本の文化に溶け込むのにそう時間はかからなかったと思われる。仏典の譬喩にたびたび登場する蓮は信仰心の象徴として深く愛されていくことになる。
古来、日本では「蓮」のことを「はちす」と呼んだ。蓮は、華はこの上なく美しいが、華が枯れた後の花托にできる実の抜け落ちた姿が、何ともグロテスクである。その形状は蜂の巣とよく似ている。そこから「蜂巣(はちす)」と呼ばれるようになり、それが時代と共に変化し「はす」となった。
漢名・和名とも、華ではなく「実」に焦点を当て、名づけているところが面白い。片や「因」である「実」に注目し、片や「果」である「実の抜け落ちた花托」に注目している。
この華の実や花托は巨大である。美しい華がかすんでしまうほどに強い印象を与えたのかも知れない。
美醜併せ持つ華と実の関係
蓮の開花は、午前5時ごろから始まり、午前9時ごろにピークを迎える。そして、午後2時から3時ころには蕾の状態に戻る。
2日目の早朝が開花のピークになり、咲く・窄むを3日間繰り返して、4日目に短い命を終える。勿論すべてがそのタイミングで咲くわけではなく、それぞれタイムラグがあるので、しばらくは「満開」の状態が続く。
人生を端的に象徴するような、美醜を併せ持ち、対比を強烈に表現することが、蓮の不思議な魅力なのかも知れない。
対照的な呼称「睡蓮」と「未草」
さて、同じ「蓮華」と総称され、蓮によく似た同じスイレン科の多年草に「睡蓮(water lily=ウォータリリ)」がある。クロード・モネの名画であまりにも有名な花である。日本古来の呼び方では「未草(ひつじぐさ)」という。開花時間は蓮とは対照的に昼間である。
「睡蓮」は中国の呼称である。睡蓮は前述の通り昼間に咲き、夜に華を閉じる。その、あたかも眠るような佇まいから名付けられたという。
それに対し日本古来の呼び方、「未草」は羊の刻(現在の午後2時)に咲くことからその名があるという。片や閉じるほうに注目し、もう一方は咲き始めるほうを注視している。
国によってその感性はさまざまである。名前には、文化の水準、人々の情念、時代の背景、その国や地方の土地柄が現れるものである。
社名やフォント名の由来となった「蓮」
私の会社名は「REN FONT / タイポグラフィクス蓮(れん)」。フォント開発を目的に立ち上げた。処女作である勢蓮明朝仮名 Old-M は、勢蓮シリーズ第一作である。その後勢蓮明朝仮名Classic シリーズ、勢蓮呉竹仮名 Classic シリーズへと、繋がっていく。
「蓮」の名は前述の「如蓮華在水」に由来する。“泥水の中に在る蓮華の如く…”読み方は合っていないかもしれないが、そのような意味である。どんな時であっても、「フォント業界に新風を」という創業精神を見失うことのないように、との思いを込めて名づけた。
フォントシリーズの呼称「勢蓮」
フォントシリーズの名「勢蓮」は、蓮の呼称としては存在しない。私の造語である。
蓮の華には一般的な花に対する表現、たとえば、優美、可憐、綺麗、素敵などなどが当てはまらない、生命の力がある。神々しさがある。勢いがある。故に、勢蓮と名付けた。
私の感性の範疇では、蓮は単なる蓮ではなく「勢蓮」なのである。
この記事へのコメントはありません。