第12回
7. モリサワの文字と写研の文字
「第8回 写植への転向」の回で、当時のモリサワの文字レベルの低さを述べたが、現在の充実ぶりからは想像ができないくらいひどいものだった。特に、明朝が決定的にダメであった。書体名は「中明朝体ABB1」だったと思う。
当時の写植の文字は伝統的な活字の形状を復刻させたものであった。これは、時代背景として仕方のないことっだったかも知れないが、何より「第6回 種字彫刻師とベントン彫刻機」でも紹介した通り、種字彫刻師たちの血と汗と涙の結果であった活字のデザインが、いかに優れていたかを如実に表していたといってよい。
写研の石井茂吉は、東京築地活版製造所を代表する美しい書体、「五号明朝活字(築地五号)」をもとに、石井明朝体ファミリーの端緒となる「石井中明朝体(MM-OKS)」をつくった。この書体は大ヒットを記録し、のちの書体デザイナーたちに大きな影響を与えていく。
(亮月製作所 サイト:書体のはなし 石井中明朝体 OKL)
片や、モリサワは独自路線をいった。もとになる手本を持たなかったようである。当然のことながら仮名も漢字も中途半端で欠陥だらけの明朝体ができあがっていった。明朝体におけるモリサワの迷走は、リュウミンの出現まで長きにわたっていく。
実はモリサワの初期の明朝のなかにも、優れたものはあった。写研の「石井中明朝体(MM-OKS)」とルーツを同じくする「太明朝体A1」(のちのA1明朝)である。とても美しい書体(あたりまえだが)だったが、少し太めのため本文組みには適さない。また、ファミリー化されなかったため、デザインに使うにしても中途半端で、会社は購入を見送った。フォントの購入に関しては私の意見も尊重されたが、涙を飲んで選択肢に入れなかった。
(亮月製作所 サイト:書体のはなし リュウミン)
文章にはいやでも明朝を使わなければならない。しかし、とうてい「中明朝体ABB1」を使う気になれなかった。現実を受け止めきれなかった。
だが、ないものねだりをしても始まらない。社内報や、文字もの以外は徹底して「1歯詰め」をして凌いだ。救いはゴシックだった。太ゴB101や見出しゴMB31は力強くきれいだった。美しさでは写研の石井ゴシックにはかなわないが、別の意味の存在感を感じた。私は、ゴシックを多用するデザインにシフトしていった。苦肉の策であった。
「1歯詰め」は写植における、必須のデザイン処理であった。詳細は「タイポグラフィ7つのルール」を参照してほしい。
モリサワの社運をかけたリュウミンの開発
モリサワの営業には会うたびに「明朝を何とかしてほしい」と懇願したが、これは私だけの願いではなく、全国的な要請であったようである。当のモリサワも必死だった。この時点でモリサワは、のちにデファクトスタンダードになっていく、リュウミンの開発を始めていた。しかし、私がこの船橋の印刷所在籍中に完成を見ることはなかった。
モリサワと写研は1925年(大正14)設立当初は「写真植字研究所」という一つの会社であった。のちのモリサワを率いた森澤信夫と、写研を率いた石井茂吉の2人の共同研究によって、写真植字機が開発され、前年の1924年(大正13)に完成をみていた。
写植機の原理そのものは、1910年代にすでに欧米で考案されていたが、実用化にはいたらなかった。その最大の要因は、欧文は文字ごとに文字幅(セット幅:グリフの幅に、左右のサイドベアリングと呼ばれる「アキ」をプラスした幅)が違ううえ、分かち組み(単語間をあける組みかた)という文字組み形式だったことにある。そのために、スムーズに文章を打てないことと、ジャスティフィケーションが困難だったからである。
日本での開発者の一人である森澤信夫は、欧文写植機の試作をみて、このシステムはむしろ日本語に向くのではと見抜いた。日本語は周知の通り基本的に全角であり、文字送りが平易だからだ。その読みがあたり、試行錯誤の結果ついに実用化にこぎつけるのである。原理の考案元であるはずの欧米での実用化は、これに遅れること25年以上後の1950年代に入ってからであった。
この時代の我が国は、機械開発を含むテクノロジーでは常に欧米の後塵を拝してきたが、写植機に関してだけは先陣を切ったのである。
やがて、考えかたの相違から2人は1948年(昭和23)たもとを分かち、次第にその特徴が際立つようになっていく。森澤は機械のほうに重点を置き、石井は文字のほうにスタンスを置いた。石井は文字作りの天才であった。彼の作り出す書体は美の極致である。私は、現在でも一連の石井明朝、石井ゴシックに追いつく書体はないと思っている。
モリサワは、この時点で写研の書体完成度に遠くおよばない、というハンデキャップを背負ったままの船出となるのである。このハンデは、デジタル化の流れを頑なに拒んだ写研の「自滅行為」が起こるまで、埋まることはなかった。
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