■各論編 ❽ 游明朝体
藤沢周平の小説を組むために作られたという=游明朝体
前回は、タイププロジェクトの代表的ゴシック書体「AXIS」を紹介しました。この書体は「現代的」書体に分類できますが、同じ「現代的」書体の「ヒラギノ角ゴ」と双璧をなす優れた書体だと思っています。
今回は、字游工房の代表的明朝書体「游明朝体」を取り上げていきます。
前回からこの「書体の性格」は「現代的書体」に入っています。「游明朝体」は本編でも書いていますが、一概に「現代的」書体に入れられない部分も持ち合わせています。しかし、組版をしたときの全体的な雰囲気は「現代的」書体の特徴である明るさがあります。本当に奥の深い書体です。
メーカー・開発者の説明
游明朝体ファミリーは「時代小説が組めるような明朝体」をキーワードに、単行本や文庫などで小説を組むことを目的に開発した游明朝体R を核とした明朝体ファミリーです。
文字の大きさの揃った現代的な明るい漢字と、伝統的な字形を生かしたスタンダードな仮名の組み合わせは、これまでの明朝体とは違う、游明朝体の大きな特徴です。「JIYUKOBO」より引用
書体の私見・感想
●小説=縦組みのために作られた書体
「藤沢周平の小説を組むための明朝」が、この書体のコンセプトにあったという話を聞いたことがあります。事実、游明朝は可読性の高い、長文に適した作りをしています。長文に代表される読み物の代表格は小説、小説は縦組みが圧倒的多数を占めています。つまり、游明朝は縦組みの文章のために作られたといっても過言ではないのです。
長文に適する、とはどういうことかというと、第一義として、かなが小さめであることが挙げられます。さらに、かなの左右幅がバラエティに富んでいて、リズムがあること。漢字の作りが適度なふところの広さを持っており、目にやさしいこと、を挙げることができます。
このような、考えかたをもとに書体を作ると、「游明朝体」のフォルムになっていきます。
●現代的な漢字、伝統的な両かなのハイブリッド(?)書体
「游明朝体」は、ある意味、とても特殊な書体ということができます。漢字は、現代的な形状をしているのに、両かなは伝統的な形状をしています。また、漢字の横画の起筆、かなの縦画の起筆がとても特徴的な形状をしています。メリハリがとても強い書体なのです。私は、初めてこの書体を目にしたとき、正直混乱しました。どうなっているんだ? でも小説を組むためという説明を聞いて納得しました。
ですので、「游明朝体」は「中庸的」とも違う、分類が難しい書体なのです。この書体は、横組みに必ずしも適しているとはいえません。したがって、限られた用途にならざるを得ない。「中庸的」と呼べないのはその理由からです。
この書体の圧巻は、やはり両かなでしょう。計算され尽くしたそれぞれのフォルムは、「伝統的」なのに、適度に線を整理しエッジを利かせているので、古さを感じさせないのです。「現代的」な漢字と組み合わせても乖離しないぎりぎりのバランスを保っています。さすが天才・鳥海修氏の作品だなと、ほれぼれします。
「伝統的」「中庸的」「現代的」の定義は、さまざま存在します。それについては、この特集「書体の性格」の総論編、“書体選定に役立つ、書体の表情を知るための12+1のチェックポイント” をご参照いただければと思います。
●各ウェイトで違う骨格、別書体の集合体といってよいかも
「游明朝体」の特徴はまだあります。L、R、M、D、B、E の6ウェイトという多ウェイトフォントですが、一般的な多ウェイトの作りかた、すなわち骨格が同じで、ウェイトが上がるごとに太くする作りかたとは根本的に違います。
見出し用に特化した B、Eウェイトは、ふところを逆に狭めに設定した異なる骨格、異なるフォルムになっていく作りかたになっています。したがって、漢字も伝統的書体の美しいフォルムになっています。名称は「游明朝体」ですが、実体は別書体の集合体といえるかも知れません。
●計算され尽くした至れり尽くせりの書体
また、欧文も、多くの明朝書体が従属欧文として採用しているセンチュリーオールドではなく、そこから派生した独自デザインの美しい欧文を採用しています。和文との混植を意識した、広めのサイドベアリングにしたことで、違和感なく和欧混植の文章を組むことができます。
まさに、至れり尽くせりの書体ということができます。モリサワのリュウミンのような、横組みを念頭に置いた「大かな」ができれば(私の勝手な願望ですが)、リュウミン並みのオールマイティな書体になるかも知れません。たぶん、鳥海氏は、それは望んでも、考えてもいないとは思いますが…。
あとがき
この書体で鳥海氏は数々の革新的試みをしています。それは、明確に氏の思想が個性がにじみ出ているということ。つまり、自ずと汎用性は損なわれるということでもあります。使う側の好みによって好き嫌いがはっきりしてくるからです。「中庸的」ではないという、もうひとつの大きな理由です。でも、これは批判ではありません。
「游ゴシック体」の回でも触れたとおり、むしろ氏のことは大尊敬しています。書体を通じて時代を担い、動かしていく人たちには、書体にたいする深い思い入れと造詣があります。書体を通じてそれの一端に触れることのできる幸せを噛みしめています。
次回は、SCREENグラフィックソリューションズ(旧・大日本スクリーン製造)の「ヒラギノ角ゴ」を紹介します。
書体の性格 もくじ |
1 書体の選びかたでデザインが劇的に変わる。書体の性格を知ろう ●書体選定に役立つ、書体の表情を知るための12+1のチェックポイント |
2 書体の表情 1 ●この書体を使えば失敗はほとんどない=ゴシックMB101 2 ●この書体を見ない日は、まずあり得ない=リュウミン 3 ●正統派なのにどこか素朴であたたかい=セザンヌ 4 ●おおらかさの中に風格が漂う=筑紫B見出ミン-E 5 ●どのウェイトのどの文字種もほぼ完璧=游ゴシック体 6 ●ワンポイントに独特の雰囲気を醸し出す=A1明朝 7 ●普遍的なしっかりとした力を持っている=AXIS 8 ●藤沢周平の小説を組むために作られたという=游明朝体 9 ●macOSやiOSに標準搭載されている=ヒラギノ角ゴ 10 ●現代的と伝統的の不思議なコラボ=ヒラギノ明朝 11 ●好き嫌いがはっきり分かれる=小塚ゴシック 12 ●作者の文字への情熱がほとばしる=小塚明朝 |
この記事へのコメントはありません。