修行僧のような制作過程
文字作りには大変な労力と忍耐が必要である。
書体のコンセプトが決まると、後はひたすら一文字また一文字と作り上げる作業が延々と続く。あと何文字などと考えていたら、絶対に最後まで到達できない。ひたすら、忍耐、また忍耐の連続なのである。これは、ある意味、悟りを得るために難業苦行に励む修行僧とよく似ていると思う。
勢蓮明朝、呉竹(ゴシック)と、どちらかというと正統派の文字を長期間つくっていると、無性に、くだけた文字をつくりたくなる。我々タイプデザイナーという、特殊な人種の精神部分を支えるもの、それは完成させる達成感は勿論のことだが、「次はこんな文字を創りたい」という創作意欲の連続性であり、未来への希望である。
強い味方のぺんてる筆ペン
私の、文字の原形を書くツールは主に筆ペンである。中でも『ぺんてるの筆ペン〈中字〉XFL2L』がお気に入りである。師匠について書道を習った経験のない、にわか書道家の私にとっては心強い味方である。
勢蓮明朝が完成し、呉竹もある程度見通しがたったある日、例の筆ペンで持ち方を変えたり、力の加減を変えたりして試し書きしていた。
ペンの柄の先端を親指と人さし指で軽く持って紙にたいして垂直にし、力を抜いて書いていたとき、何とも不思議な文字になった。筆ペンは、実際の筆より毛先に弾力がある。その弾力のある毛先が、力を抜くことで自然に跳ねて、普通に持って書いたときにはまずできないフォルムを描いた。「松葉かな-L」の誕生である。
偶発的「松葉書法」で入選
デザインの技法に「墨流し」がある。水を張ったトレイに墨汁と油を交互に垂らしていくと、年輪のような幾重もの輪ができる。その輪を竹ひごで静かにかき回すと、予測できないマーブル模様になる。そのトレイに紙を、これも静かに置いて模様を写しとる。極めて原始的な方法ながら、確実に美しい模様が得られる、9世紀ころから続く伝統の永い技法である。
「松葉かな-L」もプロセスこそ違え「墨流し」同様予測できない技法(?)の産物である。この書体は、日本タイポグラフィ協会の「年鑑2003」に出品。入選した。このような奇怪な書体は、他にない。それが評価されたのが、とても嬉しかった。
浮世離れとはよく言うよ!
口の悪い東京のタイプデザイナーの友人が「千葉の片田舎にいるからできた、良い意味で浮世離れした作品」とのたまわった。褒めているのか、貶しているのか…。はっきりせい!
漢字もつくってみたかったが、なにせ書きかたが特殊すぎて、なかなか統一性がとれない。時間がかかる。ストレスもたまる。現在、1000文字ほどつくったところで、中断している。両仮名が書けたのが、むしろ奇跡だったのかも…。なんとも情けない、落ちのない話である。
深く考えないで、時には遊ぶつもりで使ってもらえたらありがたい。作者自身があまり考えないでつくった文字なので──。
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