あぁ、絶対音感がない…
「和音」……きれいな響きのある音楽用語である。
10代の半ば、私はクラシックの流麗で勇壮な和音に魅せられ、作曲家を志した。本気なのは文字だけではなかった。強く影響を受けた人は、Ludwig van Beethoven である。
今はもうかなり忘れてしまったが、当時私は、彼の残した9つの交響曲の主旋律と和音をすべて(?)記憶していた。とはいっても音譜を暗譜していたわけではないが…。そのおかげで音楽プレーヤーは要らなかった。瞑想していれば、自然と好きな曲が頭の中を流れるのである。
しかし、楽典を買い込み、ある程度の理論をマスターはしたものの、肝心の音感、それも絶対音感が自分には口惜しいことになかった。結局私は作曲家の道を諦め、デザインの道に専念することになる。それが幸いしたのか、クラシックにこだわる心がなくなり、さまざまなジャンルの音楽に自然に親しみ、触れるようになった。
珠玉の映画音楽に魅了
私が趣味として音楽に親しむようになった1960年代後半から70年代は、優れた映画音楽が多数世にでた時代である。『雨に濡れても』『明日に向かって撃て!』の Burt Bacharach、『白い恋人たち』『ある愛の詩』の Francis Lai、『酒とバラの日々』『ひまわり』のHenry Mancini などなど、今では懐かしい作曲家たち…。
特に、2008年1月に80歳の高齢ながら来日公演を行った Burt Bacharach は、常に音楽シーンをリードし続けた巨人として、私の心に強烈な印象を残した。彼は6年後の2014年4月にも5度目の来日を果たした。
さらに、89歳になる現在(2017年現在)でも、精力的にコンサートを行っているという。頭の下がる思いである。
理屈ではなく心に響く彼らの楽曲は、私の青春時代の珠玉の想い出となっている。
禁断の漢字制作に踏み込む
フォント製作が4年目に入った2004年、私の心に変化が生じてきた。今までは文字数の少ない両仮名・欧文フォントだけをつくってきた。しかし何か物足りない。そう感じていながら、膨大な数の漢字をつくるのは、物理的に不可能だと思っていた。
実際にそれに取り掛かることには、さまざまな部分で大きなリスクを伴う。しかし、作りたい…。そして、始めてしまった。やはり、総合書体制作への衝動は抑えることができなかった。
折から、日本タイポグラフィ協会が、「年鑑2005」の作品募集を始めていた。すでに、2年連続・通算3度の入選を果たしていたので、ある程度の自信はあった。
書体の名称は、はじめから「和音」と決めていた。100文字ほどの漢字と両仮名、欧文を一通り制作して応募、そして入選した。当然入賞を狙ったが、そこまでは届かなかった。入選の知らせを待たず書体制作を見切り発車させていたが、そのことで自信が深まり、制作に拍車がかかったことは事実である。
文字で音楽を表現する
コンセプトは「文字で音楽を表現する」であった。もともと、相容れない性格をもつ漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットが混在する、世界でも例を見ない文字文化をもつ日本。書体制作は、その点だけでも困難を伴う。まして、漢字は気の遠くなるほどの数がある。
そんな「ハンデ」ともいうべき状況の中で、これを見事に克服し、調和させたのが明朝体。世界に誇る美しい書体である。私は、この書体が世界の最高峰だと思っている。音楽でいえば、フルオーケストラに合唱を加えた、ベートーベンの「交響曲第9番」。奇跡の曲である。まさに「和音」の極地だといわざるをえない。
私は、敢えて漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットに最低限の決まりごとだけを付して、できるだけ、自由な発想のもとにデザインしてみた。いってみれば「不協和音」に動的な「和音」を見いだすことを試みた。これが成功だったか、失敗だったかは、お客さまが判断することである。購買行動は正直である。購入してくださったかたからは、おおむね狙い通りの感想をいただいているのだが…。
ウェイトの名称に冒険を試みる?
音楽にはさまざまな用語がある。「和音」の制作が終盤にさしかかったある日、ふと思い当たったことがあった。速度標語である。
9種類あるウェイトの名称は、既に認知度が抜群で各フォントベンダが用いている。「和音」もご多分に漏れず、例の Light からはじまり、Ultra で終わるものにしようと思っていた。
疲れて、一息入れようと、もう擦り切れるほど聞き込んでいる世界大音楽全集(河出書房新社刊)Beethoven の「田園」を聴こうとレコードを取り出した。そのとき閃いた。田園第1楽章…Allegro ma non troppo…、そうだ、音楽標語だ。
フォントはウェイトだが、音楽は速度、対象こそ違うが表現は酷似しているではないか…。久々に味わう興奮だった。膨大な数がある中で、有名なものを取り上げてみると、なんと9つあるではないか。
Largo(幅広く緩やかに、表情豊かに)、Lento(緩やかに、おそく)、Adagio(緩やかに、心地よく)、Andante(ゆっくり歩くように)、Moderato(中くらいの早さで)、Allegro(速く、楽しげに)、Allegretto(やや速く)、Vivace(活発に速く、生き生きと)、Presto(急速に)。
これにしようと思った。
当時、一緒にフォントの制作に携わっていたプログラマーに、このことを話すと、「アイデアはいいけど、認知されますかね? 第一、Light は、Largo ? それとも Presto ? どちらに置き換えるんです?」といわれた。「う~ん…」私は詰まってしまった。確かにそうだよな…。速度とウェイトは相容れないよな…。急に心が萎えてしまった。
結局、このアイデアは採用しなかった。結果的にはお客さまのことを考えるとよかったかもしれないが、Largo から始めていたらどうだったかな? という気持ちもないではない。
途方もない2年と8か月
2004年8月13日に製作を開始してから2007年4月18日に終了するまで、何と2年8か月もかかってしまった。1ウェイト15,000字。これが9ウェイト分あるので、全135,000字にも及ぶ文字数である。
もっとも、実際に制作したのは、Light、ExtraBold、Ultra の3ウェイト。残りの6ウェイトは、Illustrator のブレンドツールで抽出したので、実際に1から制作したわけではないが、それでも大変な量には違いなかった。
当初、私は、一番細い Light と 一番太い Ultra を制作し、残りの7ウェイトはブレンドツールで抽出すればいいと考えていた。しかし、それは甘かったのである。中間の ExtraBold を抽出してみて愕然とした。画数の多い漢字が貧弱なのである。当たり前のことだった。
こんなはずじゃなかったExtraBold
画数の多い漢字は、Ultra ほどの太さになると、当然、同じ太さでつくれるはずがない。同じ太さでつくるとすべて「くっついて」しまって、ただの黒ベタになってしまう。したがって、一画いっかく太さの調整をしなければならない。それも、みた人が不自然に感じないように、いってみれば、だまし絵のごとく姑息な手段で調整するのである。
そんな、「ほとんどだまし絵」の Ultra と、「正攻法」の Light から抽出した DemiBold が、「正常な形」をしているはずがないのだ。かくして、ExtraBold は、ほとんどの文字が修正を余儀なくされたのである。
これは、「随筆」で、「解説書」ではないから、「図」を入れるのも変な話だが、多分、読者のかたは何のことが、よくわからないと思うので「図」を挿入してみた。参照して欲しい。何のことか理解できると思う。
この2年8か月の間に、母の死、自身のストレスからの過喚気症による入院騒ぎ、かけがえのない友人の死、娘の結婚、義兄の死と、齢50を過ぎると確実に多くなる、慶事、弔事が相次いだ。いやでも、人生を真剣にみつめる期間となった。それほど長い歳月であった。
瞑想で名曲の演奏会
そんな激動の中でも音楽は私の心を癒してくれた。しばし眼を閉じ夢想していると、頭の中で Beethoven が、Carpenters が、Ray Charles が競って演奏する。セレクトして集中すると、Beethoven の交響曲第7番を奏ではじめる。
冒頭、フルオーケストラの強烈な音に始まり、オーボエの澄んだ哀調を帯びた音色の独奏が交互に続く。やがてオーケストラの小気味いい上昇音が、聞く者の心をいやがうえにも高揚させていく。何というすごい曲だろう。まさに至福のときである。
良いものは正当に評価されるべき
この交響曲は、私の一番のお気に入りの曲だが、名曲の多い Beethoven の交響曲のなかでは今一つ後塵を拝していた感がある。
ところが近年、といっても、もう11年前(2017年現在)のことであるが、テレビドラマ『のだめカンタービレ(2006年10月~12月、フジテレビ系で放映)』のヒットで、Gershwin の『ラプソディ・イン・ブルー』とともにすっかりメジャーになった。まことに喜ばしい限りである。
良いものは、正当に評価されて然るべきである。私のフォントもタイポグラフィも、そしてグラフィックデザインもそういわれるようになりたいものである。
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