「松葉」の入選-「年鑑2003」
2012年の暮れも押し詰まった11月の終わりだったと思う。NPO法人日本タイポグラフィ協会が主催する作品展「年鑑2013」の祝賀会場に、私はいた。出品作品「松葉」が入選したのである。
私は元来、一匹狼派で、人付き合いがあまり好きではない。そのような展示会場に行くのも好まなかったが、人脈を拡げるつもりで出かけた。そこには、のちに「FONT 1000」の主要メンバーになる錚々たる人たちが集っていた。
名刺交換やら、自己紹介をしているうちに、みんなで飲みにいこうという話がまとまってしまった。私は昔は大の酒好きだった(サントリーレッドの大瓶〈丸形の取っ手がついているヤツ〉が3日持たなかった)が、思い立つことがあって、2年ほど前から酒もタバコも断っていた。それからは過去のことが嘘のように酒の席が苦手になってしまっていた。
名刺交換だけして帰るつもりだったが、そういうわけにもいかない雰囲気になっていて、15人くらいの集団で飲み屋街に繰り出した。その酒の席で、皆の口からは意外な言葉が飛び交った。「フォントじゃ飯が食えない」というものであった。
遅かったフォント業界参入
私は、2001年に同協会の「年鑑2001」で初出品、初入選を果たした。フォント業界参入を前にして、自分のフォント制作の実力が、どの辺の位置にいるのかを試すためだった。それを受けて、入選作品であり、フォントとしては処女作である「勢蓮明朝-M」を発売することになる。
フォント業界に参入するのは遅きに失した感があるが、そこまで遅れたのは、20歳で始めた事業の軸足を印刷・グラフィックデザインにおいていたからである。下請けに甘んじた業態であった。ここから脱却したい、自社商品を持ちたいという強い願望からの業界参入であった。しかし、ぼちぼち売れてはいたものの、事業を支える力にはならなかった。
「フォントじゃ飯が食えない」
「フォントじゃ飯が食えない」。これは、その当時、すでに商業デザインで成功しているおおかたのメンバーたちでも感じる焦燥感であった。
この酒席のメンバーの中心に、味岡伸太郎氏がいた。彼は、「良寛」や「行成」などの優れた仮名フォントを発売していた有名人であった。その彼の口からある構想が語られた。「FONT 1000」である。その当時は具体的な呼び名はでなかったと記憶しているが、その内容は衝撃的なものだった。漢字を1000文字だけ作ってリリースしちゃおうというものなのだ。
和文の漢字は、第一水準、第二水準だけ合わせても約6000字ある。これが、本来は最低ラインなのである。正直いって1000文字では、まともな文章を組めない。私は耳を疑ったが、彼はいたってまじめに訴えていった。本文用書体をはじめから目指していなかったようである。
和文を制作すると、最低でも2年はかかりきりにならないと完成しない。この絶望的とも思える長い期間を短縮しなければ、売れない現実、食えない現実を打破できない、と。味岡氏の考えは確かに一理あるものだったが、私にはにわかに賛同することはできなかった。
ここに集った人たちは、ほとんどがのちに「FONT 1000」のメンバーになっている。が、私は辞退した。この判断が良かったのか悪かったのか、今でもよくわからない。
好転しているフォントを取り巻く環境
ここ数年で、フォントを取り巻く環境は渦を立てて好転しているように思う。鳥海修氏、藤田重信氏、鈴木功氏といった第一線の書体デザイナーがメディアでしきりに取り上げられるようになった。インターネットの発展が飛躍的にフォントの立ち位置を引き上げていく。その意味ではかつての「フォントじゃ飯が食えない」状態を脱しているのかもしれない。
ただ、私のように一人で細々とフォントを作っているような弱小ベンダーが、その恩恵に浴しているかというとそうとも言い切れない。売れるフォントを作っていないからだといわれれば返す言葉はないが、私は、売れない原因は、価格の高さにもあるのだと思うようになった。
私の「和音」は9ウェイトすべての完成までに2年8か月もかかっている。当然その長大な時間分の作業代を考えたら、1000円とか2000円で売れるはずもない。第一安売りなどプライドが許さない。自分は活字文化の担い手だという自負がある。だから、おおかたのベンダーも1万円単位の値段設定になっている。至極当然なのだが、それはあくまで、販売する側の論理でしかない。
売り手と買い手の埋まらない乖離
ユーザーがいて、使ってくれる人がいて、はじめてフォントには命が吹き込まれる。ユーザーは1円でも安いほうがいいのだ。この乖離があるかぎり、売れないという現実の根本的な解決策はない。
先日、ある企業からお話をいただいた。いまあるすべてのフォントをパックで会員だけに10000円弱で売りたいとのことだった。10分の1以下の価格だ。はじめは口にこそださなかったが「冗談いうな」と思った。やはりプライドが許さないのだ。しかし、これが現状打破の一つの方法かも知れないと考えるようになった。
話に乗ってみた。順調とはいえないまでも、それなりに売れているようである。
安売りもいいかぁ!
2018年もまもなく終わろうとしている。私はいままで安売りなど考えたこともなかったが、先の例で少し考えが変わった。薄利多売もありかな、と。来年は平成が終わりを迎える。これを機に「平成最後のニューイヤーセール」をやろうと思い立った。現在、委託販売をしていただいている6サイト(designpocket, imagenavi, Font Factory, amanaimages, Font Garage)には、年末にもかかわらず、急いで対応していただいた。とても感謝している。
直営店(Stores.jp店)のほうも用意万端整った。結果はどうなるかわからないが、やるだけのことはやった感はある。どう転ぼうとも、データは残る。これから先の展開に役立つはずだ。
さあ、新しいフォントにも挑戦しないとな!

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