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MOJI ESSAY
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私のデザイン変遷史 第8回 写植への転向 -写研じゃないのかい!ー
第8回5. 写植への転向入社して3年目に入った1970年(昭和45)のことである。会社が写植機を導入することになった。その写植オペレーター第1号…
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私のデザイン変遷史 第7回 笑えない話 その1(活版編)
第7回活字と罫線でデザインを試みるさて、だいぶ活字のお話しに熱が入ってしまった。「ガリ版」の項でも書いたが、文字はデザインの最重要要素である。文…
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私のデザイン変遷史 第6回 種字彫刻師とベントン彫刻機
第6回印刷を下支えした「母型」の製造1884年(明治17)、アメリカのアメリカン・タイプ・ファウンダース(ATF = American Ty…
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私のデザイン変遷史 第5回 デザインへのコンプレックス
第5回4. 船橋市の印刷会社へ就職話はかなり以前にさかのぼるが、私が6歳のころ、生まれ故郷の市川市をあとにし、同じ千葉県の鎌ケ谷村(現在の鎌…
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私のデザイン変遷史 第4回 レタリングで旺文社賞!
第4回3. 通信教育「日本通信美術学園」での受講文字デザインの目覚めそんな矢先の13歳のころだったと思う。新聞に通信教育の特集広告が…
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私のデザイン変遷史 第3回 中学生期 ーガリ版からタイポグラフィへー
第3回2. 入りたい部活がない!「ガリ版」との出会い世の中が東京オリンピック(第18回夏季五輪)の開催で沸き立った1964年(昭和3…
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私のデザイン変遷史 第2回 幼少期から小学生期
第2回1. 幼少期の闘病奇跡的に助かったいのち私は、1952年(昭和27)今から67年前(2019年現在)の厳寒2月に、千葉県市川市…
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私のデザイン変遷史 第1回 私のデザイン変遷史を書くにあたって
第1回はじめにこの Moji Blog もじの美貌録(備忘録)は、タイポグラフィやグラフィックデザインのビギナーさんに向けたものであると同時に、…
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ようこそ「令和」
「令和」の「令」新元号「令和」の時代がはじまった。近年では、天皇が健在なうちの改元は異例である。たぶん、これからもあまり起きえないことだと思う。…
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平成最後のフォント
激動といっていい30年間30年と4か月にわたった「平成」がまもなく終わり、午前0時をもって元号が「令和」に代わる。1989年(昭和6…