私のデザイン変遷史 第17回 さぁ、フォントを作ろう!

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私のデザイン変遷史 第17回 さぁ、フォントを作ろう!

私のデザイン変遷史第17回

10. 自社製品を持つ…フォントの開発を開始

明朝体は、私がレタリングデザインを始めるきっかけとなった書体である。その優美さに魅せられ、先に紹介した通信教育を受ける前から、見よう見まねで書いていたものだった。中でも、写研の石井明朝は私にとってのこの上ないお手本であった。

フォントの制作は明朝体からと決めていた。この当時の2000年(平成12)で私はすでに齢48になっていた。13歳で文字デザインを志してから実に35年の歳月が流れていた。まことに遅きに失したといってよかった。そして、ともかくも処女作の「勢蓮明朝」の制作に取りかかるのである。

ただ、フォントを作るといっても、漢字までは到底無理だと思っていた。かな書体としての制作開始であった。

 
フォントの制作に対して、デザイナーに門戸を開いたのは、1962年(昭和37)にグループ・タイポ(桑山弥三郎・伊藤勝一・長田克巳・林隆男の4氏によるデザイングループ)が発表した「タイポス」である。その後1969年(昭和44)に写研から文字盤が発売となった。

「タイポス」は、今までの概念を打ち破り、言葉は悪いが、既存の漢字に「寄生」するという形をとった。この「かなフォント」という概念が、フォント作りへのハードルを下げグラフィックデザイナーたちが続々参入するきっかけとなるのである。その意味からしても、私は相当に遅い参入になった。

日本タイポグラフィ協会との関り

ある日、ネットで検索中、偶然日本タイポグラフィ協会(以降:協会)のサイトを見つけた。ここでは同協会の作品展「年鑑2001」に出品する作品を募集していた。ちょうど間が良かった。勢蓮明朝の完成が間近だったのである。早速、「勢蓮明朝M」と題して出品してみた。自分の実力がどの辺にあるのか試す意味合いがあった。

年末12月初旬のことだったと思う。一通の封書が届いた。協会からだった。まさかと思って開けてみると、何と入選の知らせだった。驚いた。まさか、初出品で初入選なんてことがあるんだと思った。

翌年、立派な作品集ができ上った。けっこうな値段だったが手に入れた。その中に、審査員であり件の「タイポス」創作メンバー・桑山弥三郎氏が次のような論評を寄せている。

「今年はタイプフェイスの当り年といえる。──他にもこの部門に金井和夫「明朝体」がある。これは明朝体の美しさを追求した中々の力作である──」とある。
「勢蓮明朝M」と正確に書いて欲しかったが、何はともあれ目に止まっただけでも嬉しかった。私に多大の影響を与えた、タイポスの作者が取り上げてくれたことに不思議な縁を感じた。

その後、年鑑2002では落選したが、2003から2005まで3年連続入選を果たしている。それ以後はフォント作りが本格化したため出品はしていない。

同姓同名!

これは余談だが、協会との関りの中で、ほろ苦いエピソードがある。

私と同姓同名の御仁がいるのだ。会社名も似ていた。タイプデザイナーなど、ごく少数派の職業である。そこに同姓同名がいること自体奇跡である。ただ、違うのは、片や、業界のなかではもう名の通った有名人、私は無名である。

協会での入選で会員資格を得たのだが、同姓同名では何かと具合悪いだろうと判断した。そして彼と電話で協議し、無名の私が「金井和夢」というペンネームで活動することを告げた。このような場面でも一歩引いてしまうのである。デザインにたいするコンプレックスがいまだに影を落としていた。

その後、何年かして彼が協会を退会したことを知り、再び本名で活動している。いま考えると少し遠慮しすぎたな、との感が強い。そのまま協会の会員になっていれば、人脈をもっと広げることができて、展開も変わっていただろうと思うが、あとの祭りである。

 
4~5年ほど前から Facebook や Twitter などの SNS でページを作り、たまに投稿しているが、2年前くらいから奇妙な現象が Facebook で起こった。協会に関係した著名なかたがたから、友だち申請が届くようになった。中には直接お会いして知っているかたもいたが、ほとんどはお会いしたことがないのだ。

これは、完全に勘違いだなと思ったが、せっかくなので承認させていただき、ダイレクトメッセージで「真相」をお伝えした。一様に驚かれた。しかし快く、「これも何かの縁ですね」というご返事をいただいた。ありがたい限りである。なので、私の Facebook ページの友だち欄には、錚々たるかたたちが並んでいる。

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